『リンパと、生きる』 ノリさん
リンパ管疾患の患者さんやご家族から疾患について語っていただくシリーズ第二回。
リンパ管腫のノリさんです。
先天性リンパ管腫。切除しています。
——ご自身の疾病についてや経緯を教えてください。
先天性リンパ管腫です。
1歳、3歳、4歳、18歳で切除術をしています。
切除した左頬に左側背から筋移植、また、左の歯茎下、舌の腫瘍を切除しました。
(舌は2度切除)
最初の舌切除術で腫脹の肥大化による呼吸困難で気管切開を病室で実施。以後、リンパ管腫の切除は急変リスクを考慮して気管切開が事前に行われました。
18歳の入院は流行していた創部感染で1年間入院となりました。
——病巣を切除するという治療を続けてこられたということですが、切除後のリンパ管腫の状態はどんな感じですか?18歳の長期入院以降は感染などで大きく崩されるようなことはなかったですか?
切除後は何も変化はなく、疲れが溜まって風邪の前触れの様に腫れる事はあります。一度、喉頭浮腫で緊急入院した時は、リンパ管腫の影響も無しにしもあらずとの事。そこは不明です。
——今はどんなお暮らしをしていらっしゃいますか?
医療機関にて手術支援、物品管理の職務に就いています。
——リンパ管疾患があるということの職務上の影響はありますか? また、今の暮らしで日常的に気をつけられていることなどはありますか?
全くない。疲れを自然に解消するにはと、常に考えています。
——幼少期や思春期はどのようにお過ごしになられていましたか?リンパ管疾患とともに生きていくことに葛藤などありましたか? 進学や職業選択等において疾患はどのような影響がありましたか?
幼少期、思春期と普通に遊んで過ごしていました。他人の目が気になり始めた思春期も、友達はおり、今でも高校の友人とたまに集まります。
進学は外見を気にしすぎており、全く漠然としていて環境工学に進みました。
職業選択では医療の世界で職員として関わってみたいと思ったのが、そのまま今に至ります。
——手術や長期入院などで学業への影響も心理面の負荷も大きかったと思います。気持ちの持ち様などありましたか? 疾患があることでの進学や就職のご苦労などあればお聞かせください。
当時は将来が漠然としていました。
何をどうすれば良いか、よく分からなかった。見た目以外で、苦労はなかった。長い入院だった、の一言に尽きます。体力を取り戻すのが大変だった。
——ご両親、ご家族との何か印象にあるエピソードなどあればお聞かせください。
幼少期から入院中は、何かとぬいぐるみを置いてくれました。また泣いてたりすると、ぬいぐるみを抱かせると落ち着きを取り戻したみたいで未だにぬいぐるみ等、かわいいキャラクターに未だに惹かれる所が残っています。
——微笑ましいです。本筋から逸れますが、今も大事にされてるぬいぐるみはありますか?
しろたんというアザラシのキャラクター。
しろたん、らっこいぬ。
ディズニーならダッフィーです。
——いつからマラソンを始められたのでしょう?きっかけは?
きっかけは2つです。
マラソンは'06年、ホノルルマラソンにエントリーした事がきっかけに始めました。走るしか選択肢がなかったです。走り終えてから、道中何度もこれで止めたいと思ったのに、大きな充実感で満たされた事が継続のきっかけです。
——『走るしか選択肢がなかった』とは?何か思われることがおありだったのでしょうか。
突然思い立ってエントリーしてしまったので、練習するしかなかったことです。
——「思い立って」! もともとスポーツなどされたりしてらしたのでしょうか。また、最初の頃は『リンパ管腫を知ってますか?』というゼッケンをつけておられましたが、その頃のお気持ちや、反響などお聞かせください。
スポーツはせず。するスポーツは今でも苦手です。アウトドアも興味なし。
インドア派。走る事より音楽オタクです。
ゼッケンは思いつきで。
ただ記録を狙う、また陸連登録のエントリーだと背部にもゼッケンを付けるので、自然と付けなくなりました。
反響は、声をかけられる程度でした。
このゼッケンを続けるのは難しいです。
——SNSを始められるようになられたのはいつごろからですか?
ミクシィから始めました。友達に誘われて。
ミクシィも疾患をオープンにしたりしましたが、結局のところ何処か慣れ合える場所が欲しかったのかも知れないです。ミクシィ自体、非公開なので繋がりから視野が広がらず物足りないので、早々に退会しました。
SNSも病気は名刺代わりだけで、関係なく更新する方が気楽でしょう。疾患から入ってそれをメインに更新すると続かないと思います。実際に、疾患を大々的に前面に出して行かれる成人の方々は続かないのが現状です。SNSを使うならば、遊び心が欲しいですし、見る方も楽しくありません。また相互にフォローした方々と日常的なやり取りもなければ、いざという時に自分の発信もスルーされると思います。当事者のSNSは真面目過ぎるのでしょうか。重いというか。
本当の生きづらさは、身近なところに潜んでいたのか
——メディアに出られるようになったのはいつ頃からですか
MFMSのキックオフイベントがきっかけです。外川さん姉弟との出会い、また他のとある疾患の方との出会いは、大きな影響を受けました。そこから取材依頼によって、写真展のモデルから、マラソン大会運営からの依頼なども幾度かありました
※編集注:MFMS→NPO法人マイフェイス・マイスタイル。先天的や後天的な「見た目(外見)」の症状がある人たちの様々な問題を「見た目問題」と名づけ、誰もが自分らしい顔で自分らしい生き方を楽しめる社会の実現をめざし、「見た目問題」解決にむけて活動。代表・外川浩子氏。同会チーフに実弟外川正行氏。著書「人は見た目!というけれど —私の顔で自分らしく」(岩波ジュニア新書)
——写真展やメディアに出られるにあたり、思春期に気にされたとおっゃる外見について、どのようにお気持ちを切り替えられたのでしょう?
切り替える事はなく、何か出来ることがあれば協力するという気持ちでした。
——表に発信され始めた頃、ごく近い周りの反響や、ご家族からの感想などありましたか?
特別、大きなアクションはありませんでした。
急にあちこちで目にする様になって、急に大丈夫なのかと心配はされました。
——メディアに出られたり、本やSNSなどで注目が上がるなか有名になられ、同じ悩みや疾患をもつ方の憧れの存在となられていることについて何か思われることはありますでしょうか。
その特殊な存在的な目線で見られるのが、1番の見た目問題だと感じました。
本当の生きづらさは、身近なところに潜んでいたのかと。とても対応に気を遣ってしまいます。私は普通に生きてきて、これからも普通に生きてゆきたいだけなのに。同じ外見的症状、疾患で繋がっている事と、人間関係の熟成は異なります。疾患はその人同士の距離感を縮めるのに有効なのでしょうけども。
——そうでしたか…。それでも。こうしてご協力していただけていること、お心の広さ深さに感謝します。いろんな思いを経られ、今後の活動(という言葉もおかしいのですが)への変化はありそうでしょうか。
当事者としての取材とか、オフ会はプライベートでなく仕事だと思い、割り切っています。特に変化はないです。
活動は何か表立ってするものだけではない。誰か1人でも支えるのも十分活動だと白くまさんから教わりました。
例えばある患者仲間に連絡を取らずとも、そっと見守るのも活動。他の疾患の方もよく会っていて、最近はたまにの人はかつて病気、手術に固執していましたが、自分で専門学校に通い社会人として再デビュー、今は仕事の愚痴が殆どです。それを見届けるのも活動。
水野敬也さんの本が出る前後はメディア露出が多くなり、当事者からはすごい、素敵と持ち上げられ、ラン仲間からは大丈夫ですかと心配されました。人を見る目は、表面ではないと理解できた。当事者は、疾患に捉われ過ぎて人を見る目が熟成されていない感もあると感じました。心が通じ合うと言う事は何か気づきました。
※編集注:水野敬也さん→作家。「夢をかなえるゾウ」など著書多数。見た目に症状をもつ男女9人へのインタビュー集を2017年に刊行。
——当事者としても迫りくる言葉です ただやはりノリさんだけでなく、MFMS等から自らを発信する方々を知り、憧れを持ち自分もやってみたいと思う当事者さんはたくさんいらっしゃると思いますが
かえって昔を思いださざるを得なくなった事と逆に見た目を意識する事が増えてしまったので、無理に活動に拘る必要もないと思うが、それも自由。メディア露出も厭わず前へ出るのか、毎日SNSでコツコツ発信をこまめに行うのみに留めるのかを明確にしたら、自分の好きなように続けるのが良いのでは。
あっという間の聖火リレー。
ハワイのローカルレースを走って、好きなハイクを満喫したい。
——さて。去る2021年夏、東京オリンピックの聖火ランナーをつとめられましたが、きっかけなどお聞かせください。
オリンピックが一年延期されたことのお気持ちや、聖火ランナーとして走られるまで、走られている間、走られた後のお気持ちや周りの反響等についてはどうでしたか?
きっかけは相方に背中を押してもらった事です。漠然としていたが、必ず選ばれるからと強く勧められました。
オリンピックの延期は致し方なく、自分が聖火リレー出来るか否かより、全体のリレーに対して皆んなが聖火を繋げる形になれればと思っていました。始まってみると自治体にその開催の大小、可否を委ねられた事が残念でした。世の中の気運もウェルカムでは無かったのも、寂しく感じていました。走ってる間はあっという間で、自粛の中で観に来てくれた観客の方々の拍手がとても温かく感じました。
走った後は、リアルタイムで観て下さった方が沢山いました。後に職場で見ましたよ等、職員、患者問わず知られていました。
——naturallyでもリアタイで応援させていただきました。リンパ管腫の!というよりはよく知る人が走るということが嬉しかったです。ノリさんもリンパ管腫の啓蒙も織り込んだ最初の頃のランとは違ったと思いますし、今回のインタビューでより強くそう感じていますがいかがでしょうか
今まで新聞、テレビ、書籍など取材を受けてきましたが、特に初めて走った’13年大阪マラソンでは取材を受け新聞に載った事でエキスポ、当日と多くの方に声を掛けて頂きました。良い記事だったし、こんな病気や、見た目に分かる症状があるのかって知ったと言う意見を頂戴しました。見た目の症状のある方々が皆さんの身近に居る事を知って貰いつつ、互いに理解できる社会になる事が理想です。
——また、ノリさんといえばホノルルマラソン。SNSを拝見するとホノルルに恋されてるご様子が伺えます。ホノルルの魅力などもお話いただけますか? また、今までの国内外のレースやこれからの希望などもお聞かせください。
ハワイは気候がちょうど良い事です。
うまく言えませんが自分の好きなもの、コトが程よく揃っている。リゾート地でありながら、カチカチの都会でもなく、のんびりとした空気が流れている。これからはハワイのローカルレースを走って、好きなハイクを満喫したい。国内では記録を狙いに行きます。
【ハワイは空気が好きで、心がリセットされる、と話す、ノリさん。
写真はカウアイ島の海で撮って頂いたものだそうです】
——マラソンに挑まれたり、ハワイ(海外)を満喫されたり。リンパ管腫への影響はありますか?また日本では息苦しさを感じるような面は海外ではまた違うのでしょうか
日本も海外も大きく変わる事は無いと思います。怪訝な目で見られるのは日本も海外もあり得ます。挨拶や、困った人に積極的に手を差し伸べるのは海外の国民性だとは思うので、そこから海外は良いと思う人も中にはいるでしょう。見た目の違いが産む視線の問題は解消されないと思いますが、挨拶は自分からと言う気持ちですべきではないかと思います。
自分の意思、やり甲斐、楽しさを追求したい。
人を夢中にするエネルギーはコンプレックスの大きさに問わず、それを乗り越える力があります。
——これからどんな人生を歩んでいこうと思われますか?
昨年、動脈解離による小脳梗塞になり、画像上の梗塞の大きさ程の症状は少なく、不幸中の幸いにも後遺症も皆無だったので。。
小脳梗塞になった事で、より自分の意思、自分にとってのやり甲斐、楽しさを追求したいです。
——最後に。この疾患をもつあらゆる年代の仲間へ、親御さんへ、メッセージをお願いします。
同じ疾患を持つ人と繋がるか否かは、自分の人生を左右しません。自分に不安があったり、自信を持てないと当事者の世界、活動に依存してしまうのかなと感じました。身近な所で自分の好きを追求する方が、その人を輝かせるし、生活において感受性が豊かになると思います。もちろん当事者間で友情が芽生えたのなら、それも良し。人それぞれコンプレックスはあるが、人を夢中にするエネルギーはコンプレックスの大きさに問わず、それを乗り越える力があります。
また自分が目立つ分、自分が使う言葉遣い、姿勢を整えるだけでも印象は変わります。どうしても他人の目が気になるなら、発する言葉のチョイス1つで "他人の目" を変える事が出来る事もあります。私達当事者は、世間に理解を求める以上、私達も努力を怠ってはいけないと思います。当事者ほど、当事者意識に苛まれている感は否めません。もう少し、肩の力を抜いて過ごしてみたら如何でしょう。
【オアフ島の平等院入り口の並木道にて。「オアフ、カウアイも南国らしい場所ですが、暑すぎず過ごしやすく感じます。スコールもサッと降り、よく虹が見られます。双方共に街を離れると長閑な緑と清々しい空が広がるので、空気が美味しいと感じています。」と話してくださいました】
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