『リンパと、生きる』 K・Fさん
リンパ管疾患の患者さんやご家族から疾患について語っていただくシリーズの第5回。
今回はリンパ管腫のK・Fさんにお話しいただきました。
右腕から脇の下あたりのリンパ管腫。一歳から硬化療法と切除を。
——差し支えのない範囲でご自身がの疾病についてや経緯を教えてください。
病名はリンパ管腫、右腕から脇の下あたりにあります。
母から聞いたので曖昧ですが、妊娠中に奇形があるということで帝王切開、大学病院に紹介されリンパ管腫だろうと。
1歳の時にピシバニールを投与して炎症を起こし、全身麻酔で少しずつ切除していきました。
生まれた時はモモンガのようになっていたので服は浴衣のようなものしか着られませんでしたが、幼稚園あたりには普通の服を着られるほどになりました。
小学校でも夏休みは手術か検査。熱が出るとリンパ液が腕にたまるので、注射器で抜かれていました。
中学2年の時に自分で手術を辞めたいと思い、その年の手術で終わりにしてもらいました。
最後の手術は、患部を切除しすぎて右胸が横にズレてしまっていたので、背中の皮膚を切り取って、前側に貼り付けて、胸の位置を治す、というものでした。
その後は経過良好で終診。
専門学校に通いだした頃に腫れることが増えて、通っていた病院に駆け込みました。
5年経っていてカルテがなく、主治医も居らず、誰が見るの?と看護師や医者の声が聞こえる中待たされ…たまたま私が入院していた時に研修医として主治医に付いていた先生がいて、診察してくれました。
リンパ管腫等も扱える専門の形成外科医さんだったので、今も年に1回程度通院しています。
最初は大量のカロナールを貰うだけでしたが、最近はレーザーで表面のリンパ管腫を焼いてもらったり、越婢加朮湯という漢方を出してもらったりしています。
——今のお暮らしについてお伺いします。
私のリンパ管腫は、普段何も無ければ痛みもなく腫れることもありません。発熱、季節の変わり目、ストレスで腫れて痛みますが、カロナールを飲んでしばらくしたら治ります。
肘から背中、脇腹まで傷はありますが、長袖を着ていれば恐らく気付かれません。乳腺を切除しているので胸の左右差はあり、切除しすぎて皮膚が薄いため、圧迫すると腫れます。
バレーボールのアンダー禁止、ワイヤーのついた下着NG、血圧計禁止です。
ですが上の禁止事項も気をつければなんとかなるので、他のリンパ管腫の方に比べたら、とっても軽い症例なんだと思います。
高校卒業後は看護学校に入って、地元にある大学病院で看護師として働いていました。
今は結婚し、旦那の仕事のため地方に移り、子供二人を育てています。去年から家の近くの総合病院でパートをはじめました。
——バレーボールのアンダー禁止はなかなか学生時代はヘビーな禁止事項だったのではないでしょうか。授業で必ずありますよね。
ブラなども、お悩みはあったかと思いますが…
中学の体育の授業でバレーをしたら真っ青になってしまって、見学したりボール拾いしたりしてました。運動は苦手なので出来ないことに苦痛はありませんでした!ただ課題もやっていたのに体育を2にされてしまったので、親が怒ってましたね😅
下着は色々探しましたね、ただ丁度ノンワイヤーの下着にスポットが当てられた時期だったので、選択肢はいくつかありました。しまむらの下着は意外と可愛いものが多くて助かりました!
少し前はスロギー、今はユニクロのブラタンクトップを愛用してます。
——また、看護師というお仕事もハードかと思います。この疾患は疲労しやすく、疲労がまた疾患を悪化させる傾向にありますが、いかがでしたか?
増悪したのが看護学校の頃からだったので、たしかに疾患としてはハードだったかもしれません。ただ、ほかの仕事と比べたら自分の代わりがいくらでもいる職場だと思うので、自分だけが責任を取らされることがない、という点は良かったのかもしれません。
夜勤もやっていて、明けで夜から出かけたり、新幹線乗ったり、結構アクティブでしたね。(今は無理ですね笑)
——ご結婚され二人のお子さんがいらっしゃいますが、結婚や出産の際に疾患が影響したことはありましたか?
特に思い当たることはなかったと思います。夫とは付き合う時に話しました。見た目としては全然気にしない、病気の事は多分すべて理解はできないと思うけど、出来ることがあるなら協力するよ、という感じでした。
妊娠・出産時は特に変わりなく、寧ろ仕事休んだおかげで調子よくなりました笑
よくお作りになられるという、お母様のレシピを受け継いだ、チョコチップクッキー。旦那様と息子さんがお好きだということで…とても美味しそうです!お子様達は「たまーに粉入れてもらったりする」そうです。
入院中そばにいてくれた…心を支える仕事がしたいと看護師に。
——幼少期や思春期はどのようにお過ごしになられていましたか?リンパ管疾患とともに生きていくことに葛藤などありましたか?
進学や職業選択等において疾患はどのような影響がありましたか?
。小学校まで夏休みイコール病院、でした。小学生からは付き添い入院がダメで1人で寝なくてはいけなくて、怖くてねれず、親が帰った瞬間ナースコールを押して看護師さんを呼んでました笑
夜はナースステーションに入れてもらって、お絵描きしてました。
さみしいとは思っていましたが、リンパ管腫という疾患を呪ったことはありません。生まれた時から持っていたものだし、自分にとっての普通はそれしか知らないし、という感じでしょうか。
手術を辞めたのは、十分腕が細くなったし、もうやらなくていいんじゃない?と思ったからでした。
入院となると皆心配して、千羽鶴、寄せ書き、ぬいぐるみ等たくさんくれるし、退院後の運動会はいつも出れなかったんですがそれを可哀想、と言ってくれたり。
学校では「みんなと同じ普通」が褒められる世界だったので、そんな感じで特別扱いされるのが嫌だったのです。
入院中そんな感じでやりたい放題な子供だったんですが、親がいない間ずっと話を聞いてくれる方がいました。重い病気でもないのに嫌だ寂しいと言うガキンチョなのに、そばに居てくれたということがとても嬉しかったのです。
そんな心を支えられる仕事をしたくて、看護師を目指しました。
ちなみにその方は看護師さんではなく病棟保育士さんだったそうです…笑
看護師の方が今後役に立つだろうと言うことで、親族はそのまま看護師に向かうよう黙ってたようです笑
——導かれた出逢いだったのですね。ご家族とはどのように接されてこられたのでしょうか。
病気だから特別な扱いをする、ということもなく、1人の子供として接してくれたと思います。
——今のご家族の受け止めはどうな感じですか?
通院のために実家に帰ったり等協力できることはやってくれます。あと、無理をした結果腫れた時は、怒られます😅
子供達は、ここ怪我したの?痛いねぇ、絆創膏貼る?と聞いてくることもありましたが、最近は特に触れてこないですね。
——具合が悪くなられる時の注意点やきっかけなどありますか?気をつけられていることなどありましたらお聞かせください。
やはり季節の変わり目ですね。気温だけでなく、忙しくなってストレスがかかりますからね。
でも忙しいですからリンパ管腫なんかにかまってなんかられませんよね。腫れたらやべぇ、と思ってステロイド軟膏塗ったり痛み止め飲んだりします。
毎回、なんで今?ホント空気読めないわーとなってます笑
——わかります笑。今の治療についてもお聞かせください。レーザーで表面を焼くとどんな効果がありますでしょうか?また、越婢加朮湯はどのくらい続けられてますか?ご様子に変化ありましたか?
局所麻酔をして、レーザーで表面を焼くだけの方法なので、そこまで時間がかからず終わります。
ぶつからないのと、汗が入らなくなるので、感染しづらくなった気がします。
レーザーの後はしばらく炎症がおきてるので、抗生剤の軟膏をしっかり塗ってください。私は汗かいて感染したので…冬とかにやる方がいいかもしれません。
越婢加朮湯は飲み始めて1年ちょっとです。なんとなくですが、リンパが腫れてもすぐ収まるようになった気がします。
この傷は私・家族・病院の人々のがんばった勲章、誇り
——これからどんな人生を歩んでいこうと思われますか?
沢山の人の力でここまで来ていると思うので、感謝の気持ちを忘れずに生きていきたいです。
目の前の事しか見てないタイプなもので、具体的なものでなくてすみません💦
——最後に、この疾患をもつあらゆる年代の仲間へ、親御さんへ、メッセージをお願いします。
SNSを通じて、同じ疾患の方をたくさん知ることができました。みんな場所や症状が異なって、病気の感じ方も色々で。私はきっと患部も環境も恵まれているから、かもしれませんが…リンパ管腫があっても楽しく生きています!
というかこの病気があったから今の仕事に就こうと思えたし、人に寄り添える仕事のやり甲斐も知ることが出来たし、この傷は私・家族・病院の人々のがんばった勲章だと思っているし、誇りです。
いや、たまに痛むとしんどいので、誇りは言い過ぎました笑
同じ疾患でもこんな感じで適当に生きてる人間もいるんだ、と少し前向きになれるキッカケになったらいいな、と思っています。
娘さんへの七五三の髪飾り、こちらも手作りだそうです!娘さんは喜んで七五三前からつけていらっしゃったとか。手芸もお得意でとても器用なK・Fさんです。
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