『リンパと、生きる』 katakoさん
リンパ管疾患の患者さんやご家族から疾患について語っていただくシリーズ。
第6回にして初めて保護者さまにインタビューさせていただきました。もう成人されているリンパ管腫の息子さんのことをkatakoさんにお話しいただきました。
頚部リンパ管腫
リンパ管腫が腫れると呼吸に影響する可能性も…
——お子さまの疾病についてや経緯を教えてください。
この7月で24歳になった息子(長男)の疾患は頚部リンパ管腫です。
右顎から咽喉辺りにかけて海綿状、いわゆるスポンジの様な小さな丸い部屋が沢山集中してあります。あと喉の奥の気管と食道の入り口付近にもプクッと小さなリンパ管腫があり、これが一番厄介なヤツで、もしこれが腫れると呼吸が出来なくなる可能性があると言われています。
ここからは話が長〜くなります。
息子のリンパ管腫と分かったのは出産した後でした。
出産前のエコー検診で、胎児の頭の大きさから体重を予測。その予想は約3300gでした。しかし、予定日より10日遅れでの出産だったのに、2310gとかなり小さく産まれてきました。
分娩直後先生から、「頬の辺りが少し腫れているのが気になるので、日赤で検査してもらいますね。」と一度添い寝した後、直ちに息子は病院へ緊急搬送され、MRIの結果、難しい病気の疑いがあるとの事で翌日同県の「こども病院」へ。
検査の結果「頚部リンパ管腫です。詳しく検査して、今後の治療方針を考えていきます。」と言われた。と、主人が私の入院先の産婦人科に戻ってきました。
あの日のあの時のことを思い出すと、今も胸がギュッとなります。赤ちゃんの顔を見てから考えようと思っていた名前を急いで考え、乳幼児医療保険証の申請をしました。
その日から息子は約3ヶ月間こども病院のHCUでの完全看護入院となり、私は2日に一度搾乳した母乳を持って片道1時間車で面会に行きました。
初めて酸素マスクを着けた息子を見た時、何が悪かったのか、これから息子に何をしてやれるのか、色んな思いが込み上げてきて涙が止まりませんでした。
これから私達がしてやれることは全力でやろうと覚悟しました。
病名が分かってから夫は初めて聞くこの病気がどんなものなのか、毎日ネット検索して自分なりに少ない情報を収集していました。あのころの情報は論文ばかりで難しそうでしたね。
息子の容態は、このままだと気管圧迫による呼吸困難になる可能性大なのと、頚部リンパ管腫の手術(ピシバニール硬化療法)をする事で、患部が大きく腫れ上がることを予想し、確実に気道確保をしておく必要がある。という事で、生後10日頃に手術と口から酸素チューブを通しました。
やはり手術で患部は倍以上に腫れて硬くなり熱も出ましたが、確実に数個のリンパ嚢胞?を捕らえられた結果と喜びました。しかし、予想以上に腫れた事で、痛いのと苦しいのとで暴れて酸素チューブを自身で取ってしまう可能性が出てきた為、急遽、気管切開をする事になりました。
この事で息子はしばらくは声が出せなくなる事を知り、これからの発育面でも凄く不安でしたが、選択の余地はありませんでした。
その後、気管切開を閉じたのは1歳半頃です。
生後3ヶ月で、こども病院から近くの日赤に転院し、息子の入院療養をしながら自宅で生活出来るように母親が介助指導(気管切開部分の消毒やガーゼ交換、痰吸引や器具の消毒など)を習得した後退院となりました。
それから1歳半までに2回手術をしましたが患部は海綿状の為、ピシバニールの効果はみられませんでした。
気管切開を閉じるタイミングは、1歳半。体も成長し、気管も太くなってきたので、生活する上で支障はないと判断されました。
治療自体は、幼稚園に上がるまでに日帰り手術(ピシバニール)を2回しましたが、残念ながら全く効果は得られませんでした。
海綿状でのピシバニール硬化療法はここまで、と先生は判断され、その後は経過観察となりました。なので、それからは手術をしていません。
年に1、2度は何の前触れなく突然、炎症?出血?を起こし激しい痛みと腫れが出ました。いつも炎症の数値はそれ程高くなく、熱も高くないのに大きく腫れ上がりました。
母「原因はなんですか?」
医師「ぶつけたり、風邪を引いていませんか?」
母「特にないです。」
医師「とりあえずエコーを撮って痛み止めと抗生剤を点滴します。」
と、毎回この様な処置になりました。後は痛みが引くのを待つのみです。
口の中や喉元も腫れて飲食出来ない場合は入院しますがそれ以外は、薬をもらって自宅療養です。乳幼児の頃は基本的に入院となりましたが、小学生の頃からはなるべく通院しました。食事が取れなくなるくらい痛みが出ると泣き叫び、先生もどうする事も出来ないので困っておられましたね。
腫れが引くと、元の大きさより見た目も少しずつですがゆっくりと小さくなってきた様に思います。
硬化療法の様に、自然発生した腫れ、炎症後に患部が反応した後は、リンパ管腫部分が小さく硬くなるので、発病し、痛く辛い思いをしますが、今はこの方法で少しでも治癒して行くのを待つしかいないと思っていました。
息子と私は小さい頃から担当の先生方に「良くなるなら色々試してみたい。新薬が出たら是非試してみたい!」
と常にお願いしていました。
息子は「痛みに耐えるくらいなら切除して欲しい!」と小学生の頃、担当医師に噛み付いていました。痛いのに耐えられない。と。
顔面神経痛になる確率が非常に高い為反対され、絶対無理なのかとガッカリしていると、「納得いくまで専門の形成外科の先生を紹介しますよ。」と言って下さり相談させていただきましたが、「頚部は神経が沢山通っている部位なのでリスクが高いので切除はすすめません。」という同じ説明を受けた事で納得し、次の方法を考えようと思う事にしました。
高校生の時に漢方薬を勧められました。先生から「患部が小さくなった子もいるので飲んでみる?」と提案があり、その場で直ぐお願いしました。
しかし、半年試しましたがダメでした。
漢方薬は苦くてオブラートに包んで飲んでいましたが、飲んでる最中、患部が小さくなることはなく、その期間中に発病し、腫れと痛みで水も唾も飲みこめず1週間入院したことがありました。
「薬飲んでるのになんで腫れるん!?苦いから飲みたくない。」
と、嫌がる時もありました。
漢方薬は長期間掛けてゆっくり効いてくるのですが、半年試しましたが海綿状のリンパ管腫には難しいのかもしれません。
常々、担当の先生に「新薬が出たら試したい」とお願いしていました。こちらからもSNSで調べた情報を医師に直接確認し、お願いしたり。
実際、シロリムスの臨床試験を岐阜大学病院の小関先生がされているのを見つけ、主治医に相談してコンタクトをとって貰いました。相談の結果は、もう少しでシロリムスが承認されて保険適応になるので、それを待って試してみては?
という事になり、承認された今、ラパリムス錠(シロリムス)を飲んでいます。
——生まれてから息子さんと一緒にお母さまお父さまと、ご家族で乗り越えられてこられたことにこちらも胸がぎゆっとします。今はどう過ごされていますか?
今は、ラパリムス錠を1日2錠摂取しています。飲み始めて5ヶ月は過ぎましたが副作用も発病も無く過ごしいます。
今月、飲み始めて初めての経過観察でMRIを撮ったので、次回診察日での結果報告が楽しみです。
ラパリムスを飲むにあたり、受診毎に血中濃度を分析に回して、何錠飲むか決めています。今は2錠服用しています。
——喉の奥の気管と食道の入り口付近にもリンパ管腫があり気管を塞ぐ可能性がおありとのことですが、これは今もその危険ははらんでいらっしゃるのでしょうか。これまではその危機はありませんでしたか?
今も半年に一度、耳鼻科で鼻からカメラを入れて状態を確認しています。今までは特に異常はなくすごせています。
大人になるに従い気道も太くなっているので、もし悪化して腫れた場合でも、子供の頃の様に急激に息苦しくなる可能性は少ないと言われていて、もし腫れた場合は落ち着いて救急車を呼んでください。と言われています。
幼少時の気管切開時には怖い経験も…
——乳児期、幼少期のご様子はいかがでしたか?お母様として葛藤などありましたでしょうか。
私自身、初めての育児と気管切開をした息子の医療介助に慣れるために、一旦実家にお世話になり、生活リズムに慣れる事にしました。
初めてづくしだし、体が細い息子はオムツがスカスカで(苦笑) 排泄する度に肌着とシーツが汚れて交換、洗濯に追われていました。
息子は泣くと、気管切開部分から「ガーガー」と痰がからむ音が聴こえてきます。そうなると、痰吸引をしないと苦しくなり息がしづらくなります。私は焦って吸引をしていました。寝るのも熟睡するのが怖くて寝不足ぎみでした。
1番大変だったのは、お風呂とお風呂上がりに気管切開部のフィルター付き管の消毒とガーゼ、紐交換です。一度、紐を交換する時に管が抜けてしまい、息子の顔が、あっという間に顔面蒼白に!! 慌ててどうにか管を気管に挿管できましたが、間違って食道に入っていないか心配で、直ぐ病院に連れて行ったことがあります。あの時を思い出すたびに冷汗が出ます。
「ちょっとした不注意で子供の命を落としかねない」
そんな体験でした。
その後、1ヶ月程して実家から自宅に戻り夫と3人で過ごしました。1ヶ月に一度、検診の際は移動時に吸引が必要なので夫も付き添って貰ってました。
気管切開しているせいか、気を付けていても感染症を起こしやすく、熱を出してはリンパ管腫が腫れ、ミルクや離乳食が食べられない為に何度か入院をしました。
痛いと言えない、息子が流す涙に申し訳ない気持ちでいっぱいでした。
息子の病気のことを先に知ってもらい協力も求める
——幼稚園や就学でお困りになられてことや、心掛けてこられたことなどはありますか?
気管切開も取れ、外で砂遊びもできる様になりましたが、3歳すぎても言葉がなかなか出ませんでしたが、3歳半過ぎてからよく話す様になり安心しました。
治療は、ピシバニール硬化療法を入園前まで試しましたが効果はなく、「手術はここまで」となりました。
幼稚園入園時、小、中、高校とクラスが変わる度に、私から担任教諭に病気の事、学校生活での注意点は必ず詳しく説明していました。
あと、先生だけでなく、息子がお世話になるクラスの保護者の方にも、保護者の自己紹介のタイミングで
"息子の病気の事を先に知ってもらい、協力も求める"
ことをしていました。皆さん初めて聞く病名からか理解しようとしてくれ、子供達にも話してくれていました。なので、病気の事で嫌な思いをした事は無く、皆さんは息子に優しく接してくれていたと思います。
疾患部は毎年1、2回腫れていました。中学、高校にもなると季節の変わり目や新学期やテスト前など入院するとテストが受けられないので痛み止めの点滴を打って貰いながら登校したりしていた事も何度もあり、息子は辛かったと思います。
今、思えば良く頑張っていたなぁ。痛い中のテストなんて私では無理だと思います。
——頑張り屋の息子さんですね。さらにご兄弟についてもお聞かせいただいていいでしょうか。子育ての上で大変だったことはありますか?
4学年下に次男がいます。長男が幼稚園入園直前に産まれました。よく飲んで寝て、お腹が空いたら泣く(笑) とても分かりやすくて育て易い子でした。お兄ちゃんが良く相手になってくれたので、次男に関しては私は楽をさせて貰いました。
長男の病気の事を詳しく次男に説明し始めてたのは幼稚園頃からだと思います。それまでも検診や入院などで病院について来ていました。長男の痛がる様子を見ていた次男は小さいながらも場の空気を読んでいて我慢していたのでしょうか、無駄に甘えて来ませんでしたね。なので、今は大学生ですが皆に気を遣い過ぎるくらいで、可哀想な思いをさせてしまいました。
こちらはkatakoさんのお父さま(祖父)が亡くなる直前に子供さん達と一緒に見た風景なのだそうです。
「綺麗な月だねー」とシャッターを切り、その1時間後実家から突然の知らせ。子供と時々この写真を眺めては父(祖父)の話をしています、とのことです。
——とても優しい弟くん、そしてお兄ちゃんも、なご兄弟なのですね。では、ご本人はご自身の疾病についてどのように理解されてこられたのでしょうか。
幼稚園の頃から、私は息子に簡単な言葉でリンパ管腫の話をしてきました。理解しているかどうかではなく、常に健康的な生活をする事を話ていました。
この頃、息子は薬を飲んだら痛みが無くなるのは分かっていて、嫌がらず飲んでいました。
小学校に入ると、風邪気味になるとすぐ腫れてくるのが分かり、少しずつ体調に気をつける様になってきました。大人に病気の説明は自分ではまだ難しく、「お母さんに聞いて下さい」と言ってましたね。
中、高校生に入ると何度も腫れました。突然腫れたりして。酷くて唾が飲み込めないくらいに腫れて入院したり、毎日通院して抗生剤、痛み止めの点滴をしたことも何度もありました。
この頃から自分から病状や分からない事を担当医に聞いたりして、自分から良くなりたいと前向きになっていきました。
何の前触れもなく突然腫れることもあり、戸惑っていました。クラブの新人戦に出場出来ず、担当医に掛け合っていたのを思い出しました。悔しい思いもしていましたね。
高校卒業して一旦就職しましたが、難病がある事を履歴書に記入し、それに対して説明しなくてはいけません。突然、病気で休む事があると説明した上で採用となりましたが、3ヶ月目で入院となり結局本採用とはなりませんでした。
タイミングが悪かったのもありますが、就活は難しいことを思い知らされました。
今は倉庫内での組み立て作業や屋外での軽作業をしています。立ち仕事ですので、体力作りの為に1時間かけて自転車通勤をしています。いつまで続くか、今のところ病気は発症していないので体力作り+体調管理をしていけたらと思っています。
温泉好きの長男が、ドライブがてらよく1人で行っていたので連れて行ってもらい、嬉しくて記念に撮った写真、とのこと。
「へー!いいとこ知ってるね!」って感じ!(笑)
とても素敵な母と息子のご関係なのが伝わります。
——お子様に疾患があることでご不安だったこと、これをしてよかったと思ったことなどありますでしょうか。
不安だった事は、情報が無い時は不安でしたが、直ぐ薄れました。それからは正直あまりありません。周りに沢山助けてもらいました。不安な気持ちを聞いてくれる方、先生、看護師さん、入院中のママ友、沢山いればいるほど不安はなくなりました。
息子もママ友が多いと自分の容姿を気にする事もあまりありませんでしたね。
たまに容姿からか、外出先で知らない方に
「顎の膨らみはどうしたの?」
と訊かれても、息子も私もその都度病気の説明をしていました。すると不思議と悪く言う人はいなく、真剣にきいてくれていました。
でも、社会人になってからは職場選びは大変難しい事が今の課題です。
実際、急な病欠では困る。と遠回しに何度か言われました。今は理解ある職場を探しながら就業移行支援所で働いています。
——反抗期など、息子さん自身の葛藤などを感じられたことはどうでしたか?
ありました。
ここぞと部活やテスト前など頑張っていた時に限って発病した時なんかはそれどころでは無くなるので、悔しくて私や先生にいつになったら退院できるのかと、会う度聞いていました。
周りの友達との体力?免疫力?の違いを嫌と言う程感じていたのでしょう。私には言いませんでしたが。
手術で患部を取り除けるものなら手術したい。と、危険なことを承知で高校生になっても言っていた事もあります。
情報は待つのではなく自分からとりに行く
——これから、お子さまはどんな人生を歩いて行かれようとされていますか?親としての希望をお伺いしたいです。
今は、ラパリムスが息子のリンパ管腫にどれだけ効いてくるのか、またもっと良い物が出てくるのか。楽しみです。
沢山の患者さんの為に頑張っておられる先生方には本当に感謝しています。
多分、生きている限り向き合っていく病気です。上手く付き合っていく為に無理せず、ストレス発散も上手にしながら楽しく生活して欲しいです。
「情報は待つのではなく取りに行く!」
常にアンテナを張り巡らせてほしいですね。
——最後に、この疾患をもつあらゆる年代の仲間へ、親御さんへ、メッセージをお願いします。
よろしければご本人様からもお言葉をいたたけますでしょうか。
皆さんも、一度は
「なぜ私が? なんで?何か悪い事をしたのか?」
と自分や親を責め、周りの人を羨み落ち込んだ事でしょう。
でも、私達親子はそんな事言っても仕方ないと今は思い、どうやったら今より治癒するのか。いい方法を探っています。皆さんも同じだと思っています。
成長する中で色々な大きな壁があり、悩んでどうしたら良いのか。相談に乗ってくれる人、機関を探してる方もいらっしゃると思います。
今はSNSがあるので沢山の情報を得られます。#リンパ管腫 #リンパ管奇形 などと入れると沢山出てきます。
疾患に効くやもしれぬ漢方薬やシロリムスを知った時の喜びは忘れられません。これからもそんな時がやってくるかも。
皆さんも思い切ってメッセージを送ってみましょう。私はメッセージ送って、そこから色々知識を得ました。シロリムスにも辿り着きました。また、同じ疾患を持たれている方が一生懸命に生活されている事をしりました。そうこうしていると、こうしてインタビューを受けるまでに至りました。悩み、困った事、助成金の話もSNSで教えて貰いました。
同じ疾患だからこそ、細かい悩みもわかってもらえる安心感を是非、皆さんの困り事、不安を相談してみてほしいです。
息子は、「取れるもんならとりたいけど、考えてもしたかない。また良い薬に期待するしかないね。」
と、あっけらかんとしています。
産まれて来て23年、色々強くなったのかな。
私達B型親子だけに(笑) 諦める事なく
「ケセラセラ」
今を楽しくいきたいです♪
春になると一斉に咲き乱れる庭の「雪ノ下」花びらが妖精の様に見えて可愛い。
敢えて小人になった気持ちでパシャリ。
と寄せていただいた写真です。katakoさんのインタビュー記事と合わせて拝見すると励まされるような、楽しいような、不思議に温かな気持ちになる、印象的な一枚です。
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