『リンパと、生きる』 bloomさん
リンパ管疾患の患者さんやご家族から疾患について語っていただくシリーズ、第三回。
今回はリンパ管腫症のbloomさんです。
腹部、胸部、鼠径等のリンパ管腫症。「ハレー彗星のような珍しい腫瘍」と言われてから、「リンパ管腫症」とたどり着くまでに25年かけて…
—— ご自身の疾病についてや経緯を教えてください。
中学2年生の時、激しい腹痛で近所の病院を受診したところすぐに総合病院へ行くよう言われ緊急手術になりました。腫瘍が破裂し大量出血していて腸間膜腫瘍と小腸の一部を切除しました。執刀した先生から「あなたの腫瘍はハレー彗星のようなもの、外科医が一生に一度出会えるかどうかの珍しい腫瘍だよ!」「たぶん生まれつきのものだと思うけど、悪いところは全部取ったよ!もう大丈夫」と言われとても嬉しかったのを覚えています。ちょうどハレー彗星の地球大接近が注目されていた頃でした。
ですが、その後約8年の間に腹水の出現、腹腔内の腫瘍の再発、鼠径(足の付け根)のふくらみと次から次へといろいろなものが見つかり、ついには縦隔(心臓の周り)にも腫瘍ができ、のちに胸水もたまってきました。そのたびに手術を受けるか受けないか、どのような治療を受けるかを選んできました。当時先生方の意見は「手術をしないと死にます」「手術したら死にます」など両極端なうえさまざまでとても悩みました。いじらないほうがいいという先生の意見を参考に手術は受けず、感染が起きた際には抗生剤の点滴、胸水がたまった際にはドレーン等で排出してもらったこともありました。
30代半ばに入り体調を崩すことが増えました。受診した病院ではわからない、わからないと言われるばかり…そんな中で病気のことは分からずともきちんと対応してくださる先生がいてくださったのでなんとか乗り越えてきました。この頃も基本的には感染時の抗生剤の点滴と、先生の考えでできる限り胸水はいじりたくないと経過観察してもらっていました。
体調を崩してばかりで病気のこともよくわからず半ば諦め状態だった頃、インターネットで何気なく私の最初の手術の病名「血管腫」のことを調べてみました。そこで「血管腫・血管奇形の患者会」を見つけました。私は一筋の光を見つけた気がして患者会の医療講演会などに積極的に参加しいろいろなことを学びました。血管腫・リンパ管腫・脈管奇形…自分の病気らしきものを表す言葉がわかることで検索もしやすくなり、一気に情報を得ることができました。そんな中、もしかしたら私の病気はリンパ管腫症という病気かも?と思いました。またその頃、血管腫やリンパ管腫を専門に診察されている先生の存在を知りました。その後、専門の先生の診察を受け「リンパ管腫症」と診断されました。それまで腫瘍だと思っていたものや起こっていた症状が全てリンパ管腫症というひとつの病気でつながり、ああそういうことだったんだとほっとした気持ちになりました。悩んで選んできた治療も「問題がなければ経過観察がいちばん」と言っていただきとても安心できました。専門の先生にお会いできた時の喜びは言い表しようがありませんでした。初めて言葉の通じる人に会ったようなそんな感覚でした。今までのさまざまな不安を軽減でき、専門の先生の大切さを感じました。緊急手術から約25年、四半世紀後のことでした。
同じ頃、リンパ管疾患の患者さんやご家族が作られたSNSサイトなども見つけいろいろなことを教えていただきました。みなさんの闘病ブログや掲示板などの情報がとても参考になりました。
若い頃先生から「あなたは若さで今なんとかなってるけど40歳になったらもうどうなるか分かりませんよ!」と言われたことがあったのですが、まさに40歳が近づく頃、腹部から鼠径にかけてのリンパ管嚢胞が急激に増大し、立つのも歩くのもつらくなり、何より感染が止まらなくなってしまいました。そこで感染の原因になっているリンパ管嚢胞の容量を減らす切除手術を受けました。
その頃ピシバニールによる硬化療法を受けたり、漢方薬の越婢加朮湯を内服する機会がありましたが私の場合はあまり効果は感じられませんでした。
その後腹壁・陰部からの大量のリンパ漏れを起こすようになり、感染を起こしたりという状態が続いています。治験を経て現在シロリムス内服中です。
——今のお暮らしはどんな感じですか?
夫と二人暮らしの主婦です。仕事はしていません。
現在は胸腔内・腹腔内・腹壁・鼠径にリンパ管嚢胞があり、大量の胸水と腹水の貯留、腹壁や陰部からのリンパ漏れ、感染等があります。シロリムスを内服して以前に比べると落ち着いた状態を保てています。
——幼少期や思春期はどのようにお過ごしになられていましたか?リンパ管疾患とともに生きていくことに葛藤などありましたか?
また、進学や職業選択等において疾患はどのような影響がありましたか?
幼少期はあまり体は強くありませんでしたが病気がわかるまでは学校へも特に大きな問題なく通っていました。緊急手術の後しばらく運動禁止になり、そのまま運動部を辞めることになった時はショックでした。当然、勉強の遅れも出て成績も下がりました。手術をした後の高校進学の際は通学に負担がかからないよう家から近い高校を選びました。
進学就職時に病気のことをきちんと伝えるかどうかなど一つ一つ悩んでなんとか乗り越えてきた感じです。言わなければわからないことは言わなかったり聞かれなければ答えないなどしてきました。
——ということは、ちょうど思春期にいろんな制約が突然起こった、ということになりますね。
部活だけでなく、遊びや恋愛なども我慢しなければいけなかったこともおありだったかと思いますが、その時のお気持ちなどお聞かせいただけますか?
部活が全てという感じだったのでその他はあまり覚えてないんです…恋愛は我慢するもなにも全くなしでしたし…ただ病気で手術してお腹切っちゃったしこの先恋愛とかには縁がなくなるのかなと漠然と思ってました。その後鼠径にもリンパ嚢胞ができてだんだんと大きくなっていったので服の上からもわかりそうだし恥ずかしいやらでますます恋愛からは遠のく感じがしました。
——ファッションもなかなか楽しめないような状況だったようで…特に困ったことなどはありましたか?
鼠径の膨らみがわからないようにピッタリしたスカートやパンツは避けていました。
お腹が大きくなってからは体のラインが出ない服の上に必ずカーディガンなどを着てごまかしたり、マタニティ用の洋服を着たり、ぽっこりお腹の人の対策みたいな記事を参考にしていたりしました。妊婦に間違われたりしたことは結構ありました。子供を産む機会はないけど妊婦には間違われて…複雑でした。
リンパ漏れがひどくなってからはもし洋服にリンパが漏れてしまった際に目立たないように黒やネイビーなどの濃いめの色の洋服を選ぶようにしています。
——ご両親やご兄弟とはどのように仰ってた、などありますでしょうか。
当時家族は父・母・弟がいました。
私はいつもうじうじしていたのでそれに対して母は強く励ましてくれていました。「あんたには胸を張って生きていってほしい」と…私が入退院を繰り返していたので弟には我慢や寂しい思いをさせてしまっていたと思います。でも当時は私も自分のことで精一杯でなかなか気づいてあげられなかったです。父は私が20代の頃に亡くなりました。
——お仕事は?
看護師です。
最初の手術の時に出会った先生や看護師さんがとても素敵で、もともと医学にも興味があったのでなりたいと思いました。なので大学は看護学部に行きました。今思えばお腹の手術をして胸に腫瘍が!って言ってる時にそんな体力的に負担のかかる看護師になるなんてって思いますが当時は看護師に絶対なりたかったんです。で、レントゲンを撮れば胸に影がある状態でこんなんで就職できるのか?と悩み自分の通っている大学の附属の病院なら採用してもらえるかもと思い試験を受けて採用されました。ちなみに採用時に学生時代のレントゲンなどの画像の情報は就職先の病院の方へ伝わっていて、「あなたの画像は全部見ました」と言われました。比較的体に負担のない科に配属されましたが立ち仕事も夜勤もある状態で働いてました。その頃はまだ元気でしたので…
——ハードなお仕事かと思います。疾患が職務に影響したことや、職務にあたり気をつけておられたことなどありますでしょうか。
お腹の手術後から腸閉塞(イレウス)になりやすく手術を受けたこともあったのですが、疲れがたまったりするとイレウスになり入院していました。夜勤はお腹にすぐ影響する気がしました。というのは夜勤のない仕事になったらお腹の調子がすこぶる良くなったので…まだ元気だったので立ち仕事で特に困るということは当時はありませんでした。今思えば疲れやストレスをためないようにしていたら良かったと思います。仕事を休むことで悩んだり嫌な思いをするので…体調を崩して入院しそのまま退職したこともあります。
その頃は今の体の状態からは考えられないくらいバリバリ働いてましたが今はもう無理だし、向いてない部分も感じたので今となっては遠い思い出です…あんなに働き動けていた自分が今はこの状態…悲しくなることもたまにはあります。
【bloomさんを最初に手術をしてくださった先生の追悼集。「思いがけず奇跡的に先生の奥様にお会いしお墓参りをさせていただき、その後私から奥様へお送りしたお礼のお手紙がここに掲載されました」とのことです。かけがえのない、素敵な出逢いだったことがうかがえます。】
病気の自分と妻や嫁としての自分…その辺の心の折り合いをつけていくのは今でもなかなか難しい
——この疾患を抱えての結婚や出産に対してのお考え等はありましたでしょうか。
漠然とゆくゆくは体に負担のない仕事をして一人で生きていくんだろうなと思っていました。一度先生に子供が産めるか尋ねたことがあるのですが、やはり「わからない」という返答でした…ですがその後今の夫と出会い、病気のことや子供も積極的には望んでいないということを伝えても結婚してくれるというのでじゃあということでお願いしました。それでも時々思うのは私が元気だったら子供産んでたんだろうか…とかなんでこんなことで悩まなくちゃいけないんだろうということです。子供のことだけではないですが、病気の自分と妻や嫁としての自分…その辺の心の折り合いをつけていくのは今でもなかなか難しいです。
——葛藤が日々おありのご様子ですが、反面、ご家族様はご病気をどのように受け止められていらっしゃるのでしょうか。日常的に疾患についてお話しされたりするのでしょうか。
夫は普段からいつも冷静というか同じ態度なんです。私は病気のことで悩んだり騒いだりしてますが夫はいつも同じ態度…私にはそれが逆に救いでした。病気のことは出会った頃は「手術など治療を怖がらなくてもいいのでは?」と言ってましたがあまりにも先生方から分からない分からないと言われ治療法も定まらない状態を知り、「本当にわからないんだね、うまくコントロールして付き合っていくのがいいんだね」と言ってくれ、その後はそのまま見守っていてくれています。大事なことは分かってくれているようです。最近は「リンパが漏れた」とか起こったことを私から夫へ報告する感じです。
子供の頃の母と共に悩み闘うという状態から大人になり、結婚や専門の先生との出会いによって自分で考え夫に支えてもらうという今の状態にだんだんと変わってきました。
——ご自身のリンパ管疾患において日常で困っていることなどはありますでしょうか。具合が悪くなられる時の注意点やきっかけなどはどうですか?
大量のリンパ漏れが起こる時は多い時で1日4リットル出てしまうこともあるのでパッドやオムツ等はしていても服や椅子、シーツにしみ出してしまわないか常に気を使ってストレスになります。その際にはパッドやオムツが欠かせず大量消費します。購入やゴミ捨ても負担になります。外出もかなり困難です。ピューっと勢いよくリンパが漏れて出ている時は服を脱ぐとトイレも脱衣所もお風呂場もびしょびしょです。
感染が起こると胸やお腹の痛み、だるさで動けなくなるのでほぼ寝たきりです。入院するレベルの時もありますが、空きベットがなく入院できない状態を繰り返しているうちに家で過ごせるという実績ができ、今は家で過ごすことが多いです。
家の近くの病院で感染などの対応はしていただき、少し遠くの専門病院に経過を報告して診察していただくという形をとっています。
主治医以外の先生に予約外や救急で受診すると話がうまく伝わらず、頼み込んでも薬ももらえず状態悪化で翌日緊急入院なんてつらいこともあったので、あらかじめ薬をもらっておいたり、主治医の先生のいらっしゃる日に受診するようにして緊急時の対策もしています。
具合が悪くなるきっかけはわかりにくく急になることが多い気がします。普段からちょっとした痛みなどの不快症状はあるのでそれらに埋もれてうまく予測できない状態です。強いて言えば感染の前は風邪をひいたような感じになります。
日常生活では右胸のほうに胸水が多くたまっていて平らに眠ると息苦しかったり、痛みが出ることがあるので右側を向いて枕やクッションを重ねて頭を高くして寝ます。階段や坂道は息切れしてしまうのでエスカレーターなどを使います。
——ここまでお伺いして、ご自身で調べ病名に辿り着かれたこと、日常生活に工夫をされ、色々な気持ちにもなんとか折り合いをつけてこられてきたbloomさんですが、いつもとても穏やかでいらっしゃる印象です。
穏やかでしょうか…でもそう言っていただけてちょっと泣きそうです。
人からキツくあたられるとつらいので自分はできるだけ人には優しい態度で接したいと思っています。
私は基本的には細かいことが気になって心配でうじうじうじうじあーどしようって感じで、夫曰く「ピーピー」「キャーキャー」状態です。
心が苦しくて色々な本やネットの記事などに答えを求めたりしていた時期もあります。
この性格はそうそう変わりそうにはないですが少し気づいてきたのは“まず、自分を大切にすること”です。自分で自分のことをいたわってあげたり何かがしたいと思ったら出来ることは我慢しないでやる!そして自分を大事にしてくれる周りの人を大事にする、自分を傷つける人や物事からは離れていいということです。自分だけは自分の味方でいてあげようと思います。
最近は体調を崩して日々の生活もままならないことも多いので日々の何気ない生活を送ることがそれだけで何よりも幸せです。
でも少し体調が良くなってくると私何もしてないなって思うこともあります。世の中のキラキラした人から比べたら自分は何も持ってないかのように感じてしまうこともあります。
ですが、例えば我が家にいるハムスターは昼間はずっと寝ていて夜は自由に走って餌を食べてって何もしてないけどその可愛らしい姿に私たちは癒されるわけで、赤ちゃんやペットもそうですよね…何もしてない私でも何かどこかで価値があるかもと自分に言い聞かせています。
これからはますます人からしてもらうことが増えてくると思います。そんな時にありがとうとちゃんと言って相手の人にせめて良い気持ちになってもらえるようにしたいなと思います。
——ご服用中のシロリムスについてお伺いしたいです。いつ頃から飲み始めていらっしゃいますか?
約2年前からです。リンパの大量漏れが悪化してずーっと止まらない状態が続いた時に先生から勧められて始めました。その前からシロリムスは勧められていたのですがなかなか踏みきれず始められない状態でした。
——では、その服用に踏み切ったきっかけは何だったのでしょうか?
大量のリンパ漏れが止まらなくなり、毎日その手当てと少しの家事で精一杯で外出もほとんどできなくなってしまったことと、ちょうどその時期に親族に助けが必要な状況になったのにほぼ何もできなかったのがきっかけです。
もし良くなる可能性が少しでもあるならやってみようと…かなり精神的に追い込まれていました。
——ご自身への効果や副作用についてはいかがでしたか?
大量のリンパ漏れが激減し感染も減りました。リンパ管の嚢胞もいくらか小さくなっているようです。
シロリムスを飲み始めて生じたものは口内炎・高脂血症・鼻出血や鼻の不快感・尿潜血・爪の先端が薄くはがれる・月経不順・頭皮のおでき・頭痛・下痢等がありますが副作用なのかはっきりわからないものもあります。必要に応じて薬を処方してもらっています。
※編集注: bloomさんも後述されてますが、効果・副作用は個人で違います。あくまでbloomさんのご経験をお伺いし、快くお答えくださいましたのでご了承ください。
——治療について検討されている方などに伝えられることはありますか?
個人的には今までに受けた治療の中でもシロリムスはかなり効果を感じました。ですが副作用も出る可能性があるのでそのあたりも考慮して治療に臨む必要はあるかと思います。また費用もかかるので医療費制度などをうまく利用されるとよいと思います。
シロリムスも含め治療には副作用がともなうためなかなか踏み出せないという方もいらっしゃると思います。以前、ある脈管疾患の先生が「この病気は顔にあれば見た目に影響するし人によってさまざまです。治療については最後は自分が困っているかどうかで決めるのが良いと思います」とおっしゃっていました。小さなお子さんだと難しいかもしれませんが…
それと自分の体験として具合が悪くなってくると耐えられなくなり迷いも吹っ飛び「もうどうにでもしてください!」という気持ちになりすんなり治療を受けられました。迷っていられるうちはまだ元気で余裕があるとも言えるのかもしれません。
決して楽観できる病気ではない。でも希望を持って今後の生活を送っていけたら…そして、今までの経験を大切に何かできたら。
——これからどんな人生を歩んでいこうと思われますか?
リンパ管腫症や似ている部分が多いと言われるゴーハム病の患者さんの中には厳しい経過をたどる方もいらっしゃると聞いています。決して楽観できる病気ではないということも感じています。どこかで覚悟しながら…でも希望をもって今後の生活も送っていけたらと思います。
今までの病気の経験を大切に、同じ病気の方々へ何かできたら…という思いはずっと持っています。
——最後に、この疾患をもつあらゆる年代の仲間へ、親御さんへ、メッセージをお願いします。
今年で50歳になり、生まれてから半世紀経つことになります。
節目の年にインタビューを受ける機会をいただき、自分のことを話してみようと思いました。
この病気は子供の時に見つかる方が大半だと思います。私の場合は体が大人と同じくらいになってからの発症だったので、治療を迷ったり先延ばしにしたり、入院しないで家で過ごしたり等の無理をしてもなんとかやってこられました。ですが、小さなお子さんの場合はより複雑で、その時々の判断も難しいことが多いのではないかと思います。ですので、今回お話ししたことはあくまで一例として見ていただければ幸いです。
私が若かった頃にはわからないわからないと言われ続けたリンパ管疾患ですが、熱心に取り組んでくださっている先生方やさまざまな方のお力もあり研究も進み、いろいろなことがわかってきて情報も得やすくなり、医療制度なども利用できるようになってきています。自分が望めばSNSなどで同じ病気の人と繋がることもできます。
リンパ管疾患はさまざまな部位にでき症状もさまざまだと思いますがみなさまがそれぞれにあった治療や生き方を見つけられますように願っています。
【お話にも登場したハムスター。体調が悪くてもお世話しやすそうだから、と飼い始められたとのことです。この子でもう何代にもなるそうです。】
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