『リンパと、生きる』ごーるどさん
リンパ管疾患の患者さんやご家族から疾患について語っていただくシリーズ。
第4回はリンパ管腫症のごーるどさんにいろいろとお伺いしました。
腹部のリンパ管腫症。むくみ出現からはじまる体調の波を繰り返しながら…
——ご自身の疾病についてや経緯を教えてください。
腹部、主に肝臓・脾臓・腸間膜に嚢胞性病変があります。22歳の時に低アルブミン血症によるむくみが出現し、原因の精密検査を受けた時に腹部に病変がたくさんあることが分かりました。特に肝臓の病変は大きく、リンパ液は3L以上ありました。その時の診断はリンパ管腫+腸リンパ管拡張症で、胃の圧排を取るためにリンパ液の廃液と低脂肪食での治療となりました。その後低アルブミン血症は改善し、体調良く過ごしていました。
27歳の時、小腸から出血し入院。リンパ管と静脈の接合部が破断したことによる出血との診断でした。絶食で手術は回避しましたが、おかゆが食べれるようになったのは8ヶ月後でした。この時も別の場所の肝嚢胞が巨大になっており、穿刺廃液を行いました。
その後は低脂肪食を継続し、数年に1回程度肝嚢胞の穿刺を行うことを治療の軸とし、体調良く過ごしていました。
43歳の時、再度むくみが出現。低アルブミン血症でした。現在の病院に転院し、リンパ管腫症と診断されました。シロリムスによる治療を行うことになりました。
——お仕事歴について伺ってもいいですか?
妊娠を期に退職、その後38歳の時にパートに復帰。今年から正社員として勤務することになりました。
疲れるとリンパが腫れがちなので、正社員が務まるかどうか心配ですが、好きな仕事なので頑張りたいと思っています。
——お好きな仕事に就かれてるってステキです。お仕事のスタイルは?
基本立ち仕事です。浮腫まないように圧着靴下を履いています。
「私に制限をかけないで!」という反発心。親になった今は当時の親の気持ちが痛いほど分かる
——幼少期や思春期はどのようにお過ごしになられていましたか?リンパ管疾患とともに生きていくことに葛藤などありましたか?
進学や職業選択等において疾患へ影響はありましたか?
幼少期は体の弱い子と言われていた子でした。
1歳頃より鉄欠乏性貧血があり、通院が必要でした。
ひどくむくむこともありましたが数日で自然と戻っていたようです。当時色々検査をしたようですが原因ははっきりしないままでした。体調不良時には「疲れたかな?疲れることをしないようにね」と言われていましたので両親は心配して、疲れないように、風邪を引かないように、とても気にかけて育ててもらったと思っています。
しかし、当時の私はみんなと同じ事がしたい思いが強く、私に制限をかけないで!と反発心を持っていました。無理するなと言われても無理をする子だったと思います。
親になった今は当時の親の気持ちが痛いほど分かりますね(笑)
私の息子も難病持ちで自分の親と同じ言葉をかけそうですが、その時の自分の気持ちを思い出して、一呼吸置くように心がけています。
——なるほど。ある意味息子さんとは折々の思いを共有できるんですね。息子さんはお母様の疾患をどのように受け止められてますか?また他のご家族のみなさまはどうですか?
家族はもう慣れてる感じですね(笑)
体調不良が特別なことではないので、「しんどいから横になるね〜」「OK〜」みたいなやり取りをよくします。
リンパ管疾患の病気や薬の事を詳しく知っているわけではないけれど、時々通院してて、時々体調悪くなって寝込むことがあって、脂質制限が必要という事を理解してる感じです。
過度に心配されてもしんどいし、配慮されなくても悲しいので、このくらいでいいかなと思います。
「仕事を再開する時、当時小学生だった息子が書いてくれたものです。今でもこれを見ると頑張れます😁 」と話していただいた、息子さんからのメッセージ。何よりのパワーチャージになりますね。
——また、お話をお伺いしていると、リンパ管腫〜リンパ管腫症と判明したのが成人後ということですが、遡って何歳頃からご自分の疾患についてリンパ管疾患と感じられた・医師の見解があった、などありますか?
リンパ管疾患とは思っていませんでしたが、自分が病気持ちであることは幼稚園くらいには知っていました。定期通院があること、鉄剤の薬を飲んでること、体調崩し易く、崩すと両親が慌てる事などから理解していたんだと思います。
医師からはリンパ管疾患を持って生まれ、少しずつ増えていったのであろうと言われました。
——現在の病院に転院されてリンパ管腫症と診断されたとのことですがそこに至るまでの経緯やきっかけなどをお聞かせいただけますか?
43歳の時、むくみが出現。転勤に伴い引っ越しをしていましたので以前の病院に通うことは距離的に不可能でした(それまでは調子がよかったので、半年に1回程度新幹線通院していました)。
当時の主治医に近くの通院可能な病院に転院したい旨を伝え、主治医も一緒に探して下さったのですが、ここ!という病院を見つけられずにいました。
そこでインターネットで「リンパ管腫」と検索し、小児科ではありましたがリンパ管腫を治療している病院を見つけることが出来ました。大人でも診療してもらえるか、メールで問い合わせを行うと快く診ていただけるとお返事を頂きました。
転院後、これまでの経過をお話しますと、リンパ管腫症と診断されました。正直、リンパ管腫とリンパ管腫症って何か違うの?と困惑しましたが、しっかり治療して下さる先生にお会いできてホッとした気持ちの方が大きかったです。そしてその時治験の状況でありましたが、シロリムスによる治療を行うことになりました。
シロリムスの治療を行うにあたり、不安な事もありました。元々数の少ない疾患であること、治験という言わば自分の体で薬を試す機会であることが大きな要因でした。
不安な事は抱え込まない方がよいと、息子の難病に関しての経験で痛感しておりましたので、SNSで呟いたり、相談したりしていました。
——疾患を抱えながらの結婚や出産へのお気持ちやご苦労などあれば…
結婚を決めた時は調子も良く、リンパ管疾患に体調の波があることも理解していなかったので治ったと認識していました。ですので特に気にすることもなかったです。
しかし、結婚した年の年末に小腸出血を起こし、8ヶ月入院してしまいました。主人には本当に申し訳なかったと思っています。
出産に関しては、両親にも義両親にも反対されました。それでも子供を産み育てたいという気持ちが強く、主人と話し合って調子の良いタイミングで妊娠出産しました。
妊娠中は仕事も辞め、自宅で息をひそめて生活していました。特に腹部のリンパ管に負担がかかるであろう妊娠後期は、下血はないか、浮腫はないかと過度に心配してしまい精神的に辛かったです。
——具合が悪くなられる時の注意点やきっかけなどありますか?日々気をつけられていることなどありますでしょうか。
私のリンパ管疾患の主な症状は、お腹が張る事とむくみです。お腹が張ると痛みがでるので、常備薬として痛み止めを処方して頂き、自分で判断して飲んでいます。我慢し過ぎは良くないので、あらかじめ主治医とどの程度になったら受診した方がよいか、確認しておくといいと思います。
(私の場合は「熱が出る」「1週間以上続く」「食事が取れない」が受診の目安です)
——加療中のシロリムスは始められて変化はありましたか?また、人により様々ときく副作用などについてもお聞かせください。
治療を始めて1年後に低蛋白血症が改善しました。シロリムスが効果あったのかどうか、素人には判断が難しいですが、低蛋白血症が改善されたことでQOLはとても良くなりました。
副作用に関しては、私の場合は下痢が続きましたので、現在は2錠から1錠で処方されています。
一番多く見られるという口内炎の副作用はあまりみられませんでした。
当事者、親御側、どちらの立場でも、実際には会ったことのないインターネット上での仲間に日々助けられ。「いい時代」。
——これからどんな人生を歩んでいこうと思われますか?
何よりも健康に過ごしたいです(笑)
——最後に、この疾患をもつあらゆる年代の仲間へ、親御さんへ、メッセージをお願いします。
ここ数年で、何十年も謎だった自分の病気に病名が付き、専門の先生に診て頂けるようになりました。SNSを通じた、人との繋がりを持てたことが大きかったと思います。
私の両親は「昔SNSがあったらと思う。診てくれる先生がいたら何処にでも連れて行ったのにね〜。今はいい時代だね」と言っていました。
リンパ管疾患を持って生まれてきた事は変えようのない現実で、体調の浮き沈みを受け入れることは大変難しいことですが、私の両親が言う「いい時代」、積極的に仲間を見つけることは、当事者も親御さんにも良いことだと思います。
私はリンパ管疾患の当事者であり、炎症性腸疾患では親御側です。
どちらの立場でも、実際には会ったことのないインターネット上での仲間に日々助けられています。
このインタビューが誰かのお役に立てていれば幸いに思います。
SNSで炎症性腸疾患についての発信もされている、ごーるどさん。人との繋がりや助け助けられる…それもSNSの魅力ですね。
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